あの青い作業着を脱ぎ捨てて。

アニメ・漫画・小説・ゲーム等のフィクション作品の感想をゆるく綴ります。

【感想】『ワイルドフラワーの見えない一年』松田青子

 

ワイルドフラワーの見えない一年

ワイルドフラワーの見えない一年

 

 一般社会における同調圧力や未だに確固として存在する男尊女卑的慣行、あるいはアイデンティティの問題とか、まぁ乱暴に全部ひっくるめて「日常への違和感」みたいなものを、シニカルに、時にエッセイ風に、時に童話調に、時に現代小説風に、様々なスタイルでズバズバ斬っていくのが、僕が感じている松田青子の面白さである。激動の事件も、登場人物の救い難い葛藤もない。淡々と、我々が普段から持っていながら言葉では表せない違和感や不満を代弁してくれるのだ。例えばTwitter文学賞で1位になっていた『スタッキング可能』では、一般企業に勤める「複数の」類型化された人間たちを、「ある手法」を通して人間の代替可能性を上手く描いていた。

 さて本作『ワイルドフラワーの見えない一年』は、短編集である。200ページ弱に50の物語を詰め込んであるので、単純計算1話あたり4ページであるが、実際はタイトルと1行だけ、とかいう作品も結構あり、深度もバラバラである。もちろん、タイトル+1行だけの話も、松田さんのセンスというか、「日常あるある」「違和感あるある」を上手くネタにしていて、逆にインパクトがある。

 どの話も、先に述べた松田さんの魅力がシニカルに光り、読んでいて楽しいし、日常への不満の共有がなされること請け合いである。個人的なベストは「この場を借りて」という小話で、次点は「ヴィクトリアの秘密」。前者は、「ヨーグルトの蓋を舐めなくなった理由」を延々と語るだけ。ズレた企業努力を被害妄想めいた愚痴でコミカルに一刀両断していく。オチも秀逸。後者は、どちらかといえば重めの話で、ジェンダーマイノリティ(や他のマイノリティ及び弱者)とか、それをカミングアウトすることへの違和感の話。「何故マジョリティは暗黙の上で当然のように存在していて、マイノリティは『カミングアウト』することがある種美徳になっているのか」という問いを投げかけてくる。

 他にも千差万別なお話が並んでいる。長くても1話10ページもないので、寝る前に布団を被りながらちょろっと読んで、思索しながら微睡みに落ちて行くのに最適である。