【感想】『黒き淀みのヘドロさん』模造クリスタル
黒き淀みのヘドロさん 1<黒き淀みのヘドロさん> (it COMICS)
- 作者: 模造クリスタル
- 出版社/メーカー: KADOKAWA / アスキー・メディアワークス
- 発売日: 2017/03/15
- メディア: Kindle版
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新種の生命体・ヘドロから黒魔術によって作られた「ヘドロさん」。彼女は人助けを使命として生み出された「白馬の騎士」である(見た目は表紙の中性的な女の子)。善悪の基準が曖昧だが、純粋に「人助け」をしたいと考えている(考えるように作られている)。
1巻は「お嬢さま編」「先生編」の二編。前半は、暴君お嬢と、彼女との関係に悩む執事・ジローにまつわる話。
お嬢様は人を人とも思わぬ冷淡な人物でな…
自分が本当にオレをどうでもいいと思ってるって事を証明されるためにオレを殺そうとまでする…
この暴君ぶり。実際は、
私以外に興味持っちゃだめなのよ
という嫉妬深さというか、占有欲というか。
何やかんやでお嬢が落ち着き、ヘドロさんもお屋敷に住むことを許可される、というオチ。この何やかんやの過程もひと悶着ある。お嬢とジローとの歪んだ主従関係を、救済の一環として矯正しようと試みる際、お嬢は癇癪を起こす。本作のテーマっぽい「救済の是非」が顔をのぞかせている。
問題が色濃く現れるのは後半である。気さくなノリと優しさ、そして飛び降り自殺を図った生徒を救った経験から、皆に慕われる「りもん先生」。違和感無く学校に溶け込んでいるように見えるが、実は彼女は「自分のことを教師だと思い込んでいる近所のアホ」なのだ。ヘドロさん(とその一行)に課せられたミッションは、彼女の思惑を掴むこと、場合によっては策を講じることである。
この「りもん先生編」は、「救済ってなんぞ」という切実な問いを投げかけてくる。
「りもん先生」の存在に、害は無い。むしろ皆好いている。ヘドロさんに対して「りもん先生」の身辺調査ミッションを課した教頭先生でさえ、彼女を疎んでるわけではない。
「りもん先生」は現実逃避者である。妄想に浸って、そこから出ることを拒み、自らをかつての夢だった先生であるという歪んだ認識を携えて、危うく儚い幸福に染まっている。その現実逃避によって傷ついているものは誰一人いない。周囲の人間は彼女の妄想を知りながらそれを受け入れ、好意的に接している。
「ヘドロさん」という存在は、冒頭でも述べたとおり、善悪の基準は曖昧だが純粋に「人助け」をすべし、と定義された生命体である。さてここで問題になるのは、ヘドロさんが取るべき行動、すなわち「りもん先生にとっての救済とは何ぞや」という点である。誰も不幸にしないまま幸福に暮らしている現実逃避の妄想狂を、正気に戻すことは正しいのか。人助けと呼べるのか。
妄想に浸り、「本当の自分」というものを見失っている状態というのは、常識的には救済すべき事項である。世界の要請に従えば、その認識は矯正されるべきだろう。しかしそれは当人も周囲の人間も望むことではない。本人にとっては逃避していた現実を再度思い知らされ、周囲の人間も明るく優しい「りもん先生」を失うことになる。
りもん先生の正体がわかる…
でもわかってどうする?
りもん先生が先生じゃないのはみんな知ってる
知らないのはりもん先生だけ
りもん先生だけが知らない だからうまくいってる
だからこの事件を解決する必要はないんだ…
結局、「りもん先生」は正気を取り戻し、皆の前から姿を消す。その行く末が描かれることは無い。
「世界にとっての正しい形が我々の誰しもにとって幸福な形では無い」ということ、言い換えれば「誰も幸福にならない救済のジレンマ」というものが、この「りもん先生編」では描かれている。前提のように存在する「善」に則り人々の歪みを治して「人助け」を使命のように実行する「ヘドロさん」の存在を、どのように捉えるべきなのだろうか。