読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

あの青い作業着を脱ぎ捨てて。

アニメ・漫画・小説・ゲーム等のフィクション作品の感想をゆるく綴ります。

【感想】『劇場版 甲鉄城のカバネリ 総集編後編 燃える命』

※ネガティブコメント多めです。すみません。

劇場版のカバネリの後編を観てきた。テレビ版の7話以降に相当する部分らしい(TV版未視聴)。束の間の平穏的日常回から始まって、後は美馬登場から打倒美馬までが描かれる。
映像については、相変わらず良いとは思う。但し個人的には無名ちゃんのアクションが少なく、そこは不満点。
で、その不満点以上に、こういう言い方は多少憚られるけれども、正直噂に違わぬ微妙なストーリー展開であった。

対カバネを中心に描いていた前編から打って変わって、後編では美馬という敵キャラを打倒するまでを描いている。この美馬という男は、この世界を統べる幕府の将軍家の長男だが、何やかんやで父を恨み、倒幕、ひいては人類に復讐を試みている。「弱いものは死ぬしかない」という思想のもと、無名に名を捨てさせ(もとは穂積という名前だった)、「弱いものは死ぬしかない」思想を植えつけ、カバネリ化を志願するような教育をした。狩方衆という対カバネ組織を倒幕のカモフラージュとして編成している。
物語の終盤で、美馬を筆頭とする狩方衆は、将軍家の城下町に入り込み、父を殺し、町にカバネを撒き散らす。その中で無名は、美馬に黒血漿を投薬され、洗脳的な状況に陥り、最終的には黒煙の心臓と化す。美馬と生駒が戦い、生駒が勝利し、無名を助けて終了、という感じ。

朧気な記憶を手繰り寄せ、展開をなぞってみたけど、やはり色々とまずい点が思い浮かんでくる。

相変わらず、誰かの失策を物語展開の駆動要因にしすぎているのがまず良くない。生駒たちの狩方衆に対する叛逆の失敗も、また幕府の城下町に美馬が乗り込む要因も、誰かの結構ポンコツで最低限の慎重さがあれば防げるような行動に因っている。これは前編から変わらないマイナスポイント。

が、それ以上にまずい点が少なくとも三つある。

まず第一に、物語の目的が一切果たされていないこと。前編の時点では明確化されていなかった物語の目的地、言い換えれば「主人公生駒の成し遂げたいこと」が、後編の序盤で言葉にされる。表現は違えどざっくり言えば、「無名を普通の人間に戻す」「カバネの恐怖におびえる必要のない世界を作る」の二つである。尺的にこの二つを成し遂げるのは難しいとは思っていたが、どちらかも成し遂げられないどころか、この二つに向かう行動すら微塵もない。先述したように、物語は、言い換えれば生駒の行動は、この先すべて「打倒美馬」に収斂していく。これでは、目的達成のカタルシスが全く味わえない。

第二に、無名の感情の流れがいまいち分からない。後編序盤の時点で、先述のような「無名を人間に戻す」という生駒の誓いに、満更でもなさそうな顔や態度をしていた。無名は、美馬の「弱いものは死ぬしかない」という思想と、親を目の前で殺されたという経験から、強くなるために自らカバネリ化を志願したのだ。「人間に戻りたい」と思うようになるきっかけが正直不明。甲鉄城の人間に触れ、普通の人間にあこがれるという感情は分からないでもないが、この時点で強さを捨てることと人間に戻ることを天秤にかけ、後者を選ぶようになるには根拠が弱い。「弱いものは死ぬしかない」という思想を、あるいは「美馬の目的達成のためカバネリであり続ける」という考えを拭い去るきっかけがない。
まぁここまでなら、6話での展開からギリギリ納得できなくもない。が、その後美馬と再会してしばらくは、美馬万歳の様子だったので、尚更「人間に戻りたい」とこの時点で考えるに至った回路が謎。

第三に、美馬の小物感。父への恨み自体はまあ正当なものだが、そこからカバネを放流して特に罪のない町の住人を巻き込む必要性が謎。この行動、というか美馬の目的は、もはや「強きものしか生き残れない世界こそ正しい」みたいな妄執を以って処理するほかないと思われるが、そうすると小物感が拭えないというか、敵キャラとしての共感が生まれない。

と、だらだらネガティブなことを書き連ねてきたが、「謎」という言葉を頻発していることからも分かるとおり、圧倒的な説明不足、すなわち尺不足である。実際、監督も「この着地点にするなら後4話くらい欲しかった」みたいなことを語っていた。後4話で上記の問題を解決できるとは思わない(そもそもあくまで個人的な謎なので解決してもらう必要ないかも)が、もう少し尺があれば、思考回路の整理や、美馬や無名のエピソードを掘り下げて、物語に納得感が出たのでは、と思う。

観てる側としては「目的が迷子」だったが、一応、擁護することは可能な部分もあると思う。本作のキャッチコピーの一つに「貫け、鋼の心を」というものがある。基本的には生駒に適用される言葉で、言い換えれば「俺は俺が誇れる俺でありたい」というものだろう。この言葉を全うすることを物語の目的とするならば、それなりに達成されていたように思える。「俺は俺が誇れる俺でありたい」という目的の具体は、その時々によって変動する。対カバネ、対人間からの迫害、対美馬、その時々で取る行動は違えど、「俺は俺が誇れる俺でありたい」という誓いを守っている。自分より強大な敵を前にしても、最終的には逃げずに立ち向かい、勝利する。いわば「鋼の心を貫いている」のである。このキャッチコピー、いわばテーマだけはぶれずに一貫していたように思える。美馬の思考や目的も、生駒の成長を描くための配置としては、機能していたように思える。

とはいえ、テーマ的な一貫性はあっても、物語的なカタルシスは乏しい。この手のエンタメ作品にとって、それは致命的だと思う。どうやら2018年に続編をやるようなので、今度は「無名を普通の人間に戻す」「カバネの恐怖におびえる必要のない世界を作る」という、今回立てた二大目標を果たす方向で、生駒たちの逃走闘争譚を着陸させて欲しい。無名ちゃん、いや穂積ちゃんがお米を沢山食べられますように。