読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

あの青い作業着を脱ぎ捨てて。

アニメ・漫画・小説・ゲーム等のフィクション作品の感想をゆるく綴ります。

【感想】『売野機子のハート・ビート』売野機子

感想 漫画

四半世紀の間、およそ真っ当な恋愛と呼べるものに縁が無かった男であるが、売野機子が捉えて描いている恋愛…というか人と人との関係性に、どうしようもなく惹かれる。色んな人間がそれぞれの生活を生きていて、当たり前のように傷つき、幸せを希求し、打ちひしがれ、社会から弾き出されたような感覚になりながらも、その想いを吐露する相手を求めて、見つけて、生きていく。売野機子が描く人物は、老若男女みな「少女」だ、って感じがする。儚げで夢見がちなところとか、世界との付き合い方に悩んでいるところとか、それでも人恋しさに焦がれているところとか。

で、本作『売野機子のハートビート』である。正直表紙絵の塗りが厚すぎて微妙だなぁ、と思っていたが、中身は本当に良かった。短編の神と化しているのでは。

「ハートビート」と銘打たれている通り、「音楽」をキーワードとした短編4編が収録されている。有名バンドマンと一般人の恋『イントロダクション』、僕のママの門下生・ゆみの音楽受験(おねショタ)『ゆみのたましい』、働く妻と専業主夫の夫婦愛『夫のイヤホン』、歌姫と音楽ライター『青間飛行』。どれも一級品の短編だったが、個人的には『イントロダクション』がベスト。次点で『夫のイヤホン』。

『イントロダクション』は、惚れっぽい有名バンドマン(40手前)である織部聖一が明け方の歩道橋で出会った女性・じゅりに一目ぼれをし、告白をするとこらから始まる。素性を隠したまま付き合うことになったが、なぜか共通点が多い。
大方の予想通り、じゅりは聖一の追っかけなのであるが、とにかく台詞や小物のチョイスがすごい良い。

一般人の私にも歴史があって 
たくさん傷ついたり 
おかしくなったりした
自分にとって大切なことは世間ではくだらないことなのだと分かって打ちのめされたり
誰とも分かり合えないって絶望したり 
ただただ愛に溺れたり 
自分の価値を見失ったり 
あきらめた筈の夢にふたたび燃えたりしながら
生きてきたの―
『イントロダクション』

こういう独白めいた、相手に自分をさらけ出す台詞回しが本当に好き。儚げで救いを求めるような絵とあいまって、抜群な破壊力を伴って頭に残るシーン。こういう長回しのポエミーな台詞って、漫画ならではだと思う。小説だと強弱が付けにくいし、映像で声付きでやられるとくどい。

織部聖一は自身を「噓つき」だと考えている。バンドマンの活動も「空想が得意だから」と少し自嘲気味に考え、じゅりに対して素性を隠しているのも「ウソ」だ。一方のじゅりも同じく「噓つき」である。聖一の素性を知らない振りをしていること、聖一の好きなもので固めていること(音楽、たばこの銘柄、コンバースのスニーカーまで)を「嘘」だと感じている。この噓つき二人が、嘘をばらして、本当の姿で結ばれるまでの手際のよさがすごい。
ここで描かれる、二人が嘘をさらけ出して、真っ青な服を着て歩道橋を渡るようになるまでが「イントロダクション」であり、これから先の、続いていくであろう生活こそが「サビ」なのだろう。

じゅりのデザインも最高。

三つ編おさげで、少し虚ろな目。このなりでタバコを嗜むなんて。売野さんが描く女性の魅力はすさまじく、売野作品少女ランキングを勝手に催したいくらいだが、その中でも上位。

次点『夫のイヤホン』は、うらやましい夫婦ランキング一位。90年代Jpopを聞きながら、マンションの一室で毛布に包まり肩を寄せ合い酒を飲みつつ夜景をみて語らう。最高か。

他二編も良い。バーズで新連載が始まっているようで、こちらも超楽しみ。