あの青い作業着を脱ぎ捨てて。

アニメ・漫画・小説・ゲーム等のフィクション作品の感想をゆるく綴ります。

【感想】『電気サーカス』唐辺葉介

電気サーカス

電気サーカス

『Carnival』『SWAN SONG』『キラ☆キラ』等のエロゲーでおなじみ(?)の瀬戸口廉也氏の自伝的小説、『電気サーカス』。唐辺葉介は、瀬戸口氏の小説家名義。氏の作品の大半がダウナーで、社会や世界と馴染めない人間たちをさらに転落させてみたり、人間たちを孤立させて色々な秩序・正義観をぶつけてみたり、希望を掴んだ矢先に絶望へと叩き落してみたりと、まぁ刺さる人には刺さるしそうでない人にはそうでないライター・作家であろう。とはいえ単なる鬱ゲー・鬱小説ではなく、彼ら全員が転落していく過程に、内的/外的要因の両面で説得力がある。落ちるべくして落ちていく。

自伝的小説、と銘打たれているだけあって、どこか私小説めいた語り口で物語は進んでいく。氏の作品で最も平坦かつ暗澹とした印象の1人称。テキストサイト全盛の時代に生きる青年・水屋口悟と、まぁメンヘラといって差し支えない女子中学生・真赤を軸とした、自堕落でモラトリアムを極限にまで引き伸ばした人間たちの何も起きない、起こす気もない共同生活を描いている。

この水屋口は結局のところ、「あらゆる気持ちが継続しない」という特性があるのだろう。全うに生きようという気持ちも、もう死にたいという気持ちも。彼の中にあるのはただ、明確な原因のない、漠然とした「辛い」という気持ち。そういう気持ちを抱えたまま、定職に就かず、就いても面倒な自意識に苛まれて辞め、ドラッグと酒とインターネットに溺れる自堕落な生活を送り続け、真赤に振り回される共依存的な関係に堕す。その様子は、週刊連載ならではの短めのエピソードの集積によって語られていく。

サーカス、すなわち見世物である。インターネットのテキストサイトに魅せられ、自らの生活を切り売りし、肥大化した自意識を時に面白おかしく時にに悲惨に公開していく彼らに、なんて相応しいレッテルだろうか。

明確にどこかにたどり着く話ではない。鬱屈とした青年が、鬱屈とした人間たちと、鬱屈とした生活を送るだけの話である。残るのは、ぬるい泥沼にずぶずぶと落ちていく感覚のみである。

ここ3年ほど音沙汰の無い作者だが、また小説を(可能ならエロゲーを)書いて欲しいなぁ。最新作は3人称だったので、できれば独白めいた1人称で。