あの青い作業着を脱ぎ捨てて。

アニメ・漫画・小説・ゲーム等のフィクション作品の感想をゆるく綴ります。

【感想】『私の少年』高野ひと深

私の少年 : 1 (アクションコミックス)

私の少年 : 1 (アクションコミックス)

『私の少年』というタイトルがまず素晴らしい。単行本の後書き曰く3秒でつけた仮題がそのまま本決定になったようだが、想像力を掻き立てるタイトルである。

「少年」という言葉は、例えば「弟」「息子」「甥っ子」「恋人」「友人」「ご近所さん」のような、関係性を志向する言葉ではない。「私の弟」と言う場合は単なる関係を示し、「私」が「姉」として規定されるに留まる。翻って「私の少年」である。「私と少年」でもない。単なる関係性を示すタイトルではないのだ。「私の」とは何なのか?普通に考えれば所有である。所有も関係性を表すと言えばそうだが、そこには明らかな非対称性がある。タイトル的に、そして現段階での表層的な意識において、「私=聡子」は「少年=真修」を庇護下に置いている。この非対称性は崩されるのか?聡子は「少年の私」を目指すのか?という想像力が生まれる余地が残されている。

聡子と真修の関係というのは、形容しがたい歪でアンバランスなものである。聡子から真修への感情は、様々なモノが入り混じっているように思える。当然、母性はあるだろう。自身の家族の不和と真修の境遇を重ね合わせている部分もある。そして恋愛感情に近い何か。これらが混ざり合い、聡子の中でパワーバランスが争われている。どれが優勢なのかは、本人も気づいていない。あるいは気づかないようにしている。
単行本2巻の9話では、所有欲に近い何かを自覚したように思える。

これ すごい聞いたことある台詞だ
自分の言葉じゃない言葉って
嘘みたいにするする出ていくんだな
たとえ
私の言葉じゃなくても
嘘だとしても
間違っていたとしても
真修にとって
間違いでは ない
そう
真修のそばにいるのは
私だけじゃない
私しか頼っちゃいけないって
真修に思わせちゃいけない

この独占欲を抑えようと言い聞かせる様。所有欲の自覚が窺える。この恋愛感情と母性が混ざり合った所有欲・独占欲の行方は、果たして報われるのだろうか。
また9話では、キーアイテムの「体温計」が登場する。1話で元彼への未練の象徴として描かれており、1話ラストで真修との出会いにより一時は断ち切った「毎朝意味もなく体温計で体温を測る」という行為が、9話で再び再開されようとする。体温計は、人恋しさのメタファーのようなもので、真修との関係を(どのような形であれ)踏み出したいという気持ちの表出だと思う。

では真修は?真修は聡子に何を求めているのだろう。

でも 俺 ずっと
練習続けてた の
あいたかったからです
聡子さんに

9話で、聡子から提案された新しいサッカークラブが聡子との練習日と被っていることを知らされた時の言葉。聡子は聡子で、先ほどの独占欲を抑えようと心の中で言い聞かせながら提案していたわけだが、真修は泣きながら引用の台詞を絞り出す。それに対して聡子は思わず抱きしめるのだが、この「あいたかったから」という言葉の意味合いは、どのようなものなのだろうか。母性を求めているのか?友愛か?恋愛的感情か?個人的には、これは結構恋愛感情に近いものだと考える。
単行本1巻の4話。聡子と真修が回転寿司を食べる回。

真修「お姉さんも『普通だから』ですか?人にやさしくするのは普通だから 俺にサッカー教えたり 車で送ってくれたり お寿司食べていいよって言ってくれたり してくれるんですか」
聡子「えー?普通こんなことしないでしょー 真修にしかしたことないよ」
(中略)
真修「さ 聡子さん あの これ今日のお礼です」

お姉さんから聡子さんへ。1人の独立した女性として意識している。またお礼をすることで、12歳なりに聡子と対等な関係になりたいという努力が窺える。

とは言え、現実問題として2人が恋愛的なかたちで結ばれるとは考えにくい。ある程度そういう気持ちが双方にあると言っても、埋めがたい年齢差と、そこからくる恋愛感情が持つ重さのアンバランスさが余りに大きい。また聡子の元彼や真修の同級生女子の不穏(?)な動き、更には家族の諸問題も依然として解決されていない。この美しくも歪な関係が、この先どのように移ろっていくのか。非常に楽しみである。

ゆら帝とかジュリマリとか、解散したバンドばっかり聞いている聡子が前に進めますように。