あの青い作業着を脱ぎ捨てて。

アニメ・漫画・小説・ゲーム等のフィクション作品の感想をゆるく綴ります。

【感想】『さびしすぎてレズ風俗に行きましたレポ』『一人交換日記』永田カビ

高校生活は謳歌したものの大学に馴染めず半年で退学し、所属する場所を失った不安感に苛まれ、アルバイトを始めるも心身不安定で過食症になり、全うに働けずクビになり、いよいよ死も視野に入ってくるも、開き直って色々立ち直ろうと奮起する。が、どうにも上手く行かず、心身は更に朽ち果てた挙句、「28年間愛を獲得したことがない」「性的な経験もない」「ぬくもりが欲しい」という状況を解消するため、そして「性的なことに興味がない振りをして、ブレーキを掛けていただけだ」と気づき、「自分の興味に沿って行動する」ため、「レズ風俗」という、傍から見れば奇特な、しかし本人的には(ある程度)筋の通った手段を行使する―。

 というような内容が書かれているのが『レズ風俗』の方。乱暴に言えばメンヘラ気質な人間の思考や面倒な自意識と、それに付随する母との関係(というか作者の母への愛憎入り混じった感情)の整理、そして(一時的な)精神の再生までの思考プロセスの言語化がメインで、ぶっちゃけ「レズ風俗ってこんなところ!」みたいなレポはほぼ皆無。

 

さびしすぎてレズ風俗に行きましたレポ

さびしすぎてレズ風俗に行きましたレポ

 

 

『一人交換日記』の方は、『レズ風俗』後の生活の話。『レズ風俗』で漫画家として生きていく方向性(=フィクションではなく自分を切り売りするエッセイを描く決意)を獲得し、ヒット作も一つ生まれ、レズ風俗で人肌に触れて多少救われた、めでたしめでたし、とは行きませんでした。『レズ風俗』によって得た漫画家としての知名度は逆に家族との関係を(どちらかといえば)マイナス方面に進むきっかけにもなるし、それ故素直に世間からの評価を受け取れないし、あー生きるのって難しいなぁこんちくしょう、という感じ。

 

一人交換日記 (ビッグコミックススペシャル)

一人交換日記 (ビッグコミックススペシャル)

 

 

内容としては、『レズ風俗』はどん底⇒プチ救いというある種王道的な流れだが、『一人交換日記』はそのプチ救い後も生活は続いていくんだよ、漫画家として一つヒット作を出した位じゃ劇的にポジティブになれないんだよ、それどころが辛みは増すのだよ、ということを如実に抉り出している。

この『一人交換日記』の存在が、より『レズ風俗』を引き立てているというか、相互に補完しているというか、「一時救われて、めでたしめでたしに見えてもゴールじゃないし辛い生活は続いていくのだよ」というある種当たり前のことを際立たせてくれる。一作のヒットも、一時的な温もりの獲得も、根本的な精神状態改善には程遠い、むしろ悪化の要因であることを知らしめてくる。辛い。

 

自分は、「どちらかといえばちょっと社会に馴染めない」程度の人間で、文句垂れ流しながらも普通の会社員として何とか社会にしがみついていける程度には健康な精神を持っている(と信じている)ので、本作で描かれている「生き辛さ」や永田さんの思考プロセスに心から共感できたわけではない(人生で一度も愛を獲得していないところは共通項、残念ながら)。

しかしこの手の本では、共感=面白み、ではない。むしろこういう人々がどういう思考プロセスで「生き辛さ」を感じているのか、ということを(少しでも)理解できて、大変興味深かった。いや「こういう人々」と一括りにするのはいささか乱暴か。こういう精神の話は、結局は「個人」に拠る部分が大きすぎると考えているので、この話もあくまで一例、永田カビさんという個のケースと捉えておく。

さっきから思考プロセスという言葉を多用していてアレだが、この作者の凄いところは、「生き辛さ」という感覚へ到達するプロセスを、理路整然と描いているところである。

またこういうエッセイ漫画、特に行動より思考の描写に重きを置いている作品は、漫画の絵的に動きがなく退屈なことが多々あるが、この作者は、思考の状態をあの手この手で描写してくるので、絵的な飽きがこない。どころか、作品の大切な要素になっている。この描写センスがなければ、この重々しくてともすれば被害妄想強めな思考の独白を最後まで読むことは難しかったかもしれない。

「欝は甘え」とかいう誤った幻想を抱いている人間以外の全ての人間に、一度は読んで欲しい(そういう人こそ読んで欲しいけど、頑なに切り捨てそう)。共感する/しないに関わらず、何かしらの感想・考えるきっかけを必ず持てる作品だと思う。