あの青い作業着を脱ぎ捨てて。

アニメ・漫画・小説・ゲーム等のフィクション作品の感想をゆるく綴ります。

【雑記】今週のこと(1/29~2/4)

今週のことを振り返りたいと思います。読んだ漫画や小説、観た映像作品、プレイしたゲームで面白かったものを雑に。毎週続けられることを願います。

【漫画】

感想記事を上げたのはこの辺。

『ぱらのま』はkashmirの中でも指折りで面白いと思います。読みやすいし。

その他の新刊にはあまり食指が伸びず。近藤聡乃のエッセイ『ニューヨークで考え中』とか黒田硫黄の短編集諸々とか平尾アウリの『推しが武道館いってくれたら死ぬ』とか、微妙に今更感のあるものを面白く読みました。『ニューヨークで考え中』のような、淡々としていて、ちょっと毒気があるエッセイは大好物なので◎。最低限の線で構成されながら豊かな表情を見せる絵も良い。

ニューヨークで考え中

ニューヨークで考え中

来週も新刊で気になるものは(今のところ)なさそうなので、せっせと既刊を開拓します。

1月は新人の単行本が豊富でした。感想挙げた『映像研には手を出すな!』『サザンウィンドウ・サザンドア』『春と盆暗』とか。新人ではないけれど白濱鴎『とんがり帽子のアトリエ』も、丁寧なファンタジーで好印象。あとは『hなhとA子の呪い』完結巻。中野でいちの劇画チックな作画ととめどない自意識のぶちまけ具合は非常に好きなので、次回作も期待。個人的には『後輩ちゃんにきいてみよう』みたいなコメディに寄った作品を読みたいです。

そして冬目景『黒鉄』がまさかの連載再開というニュース。何と15年ぶり。ついでに『LUNO』も頼むぞ~という感じ。

【小説】

なぜか絲山秋子の未読作品を読み漁る週間に突入しています。といっても大半が未読ですが。『ニート』『不愉快な本の続編』『ダーティ・ワーク』あたりを読みました。相変わらず恋人とか家族とかではない「変な関係」を構築して登場人物をもがかせるのがすごく上手。と同時に、この人はそれこそ『不愉快な~』みたいな、1人称の独白多めの文体というイメージを持っていたのだが、結構3人称も多いということに気づかされました。そしてそれはそれで非常に良くて、芸が広いことを思い知りました。『ダーティ・ワーク』は連作短編でありつつ群像劇形式の長編ともいえる作品だったが、この作品の中でも色々な語り口・文体を使い分けていました。ていうかこの人本当に技巧的で緻密です。文章もプロットも。

ダーティ・ワーク (集英社文庫) (集英社文庫 い 66-1)

ダーティ・ワーク (集英社文庫) (集英社文庫 い 66-1)

あとは本屋をぶらついていて雑に手に取った桜井晴也『世界泥棒』を半分くらいまで。これがべらぼうに面白いです。どちらかが死ぬまで教室で銃を打ち合う「決闘」を繰り広げる男子たち。という取っ掛かりは実にエンタメっぽいのだが、その実は個や価値観や世界のあり方について深堀してぶつけ合って滔々と語っています。かぎ括弧も改行も無く、ひたすら思考のかたまりをぶつけられている読書感。寓意に満ちた設定・描写も○。来週中には読み終えたいという気持ちと、いつまでも浸っていたいという願望が入り混じっています。

世界泥棒

世界泥棒

【映像】

冬アニメにほとんど食指が伸びず。『セイレン』『クズの本懐』『リトルウィッチアカデミア』あたりは録画しているけど未消化。『ポケモンサンムーン』は楽しく視聴中。7世代ポケモンで一番好きなのはヒドイデなのだが、めでたくコジロウの手持ちに入って何より。

冬ドラマは『カルテット』『銀と金』『住住』あたりを視聴中。特に『カルテット』は面白い。濃厚なキャストが織り成す会話劇。3話では満島ひかり演じるすずめちゃんのお話。詐欺師まがいの人間で、自分の人生を狂わせたともいえる実父の呪縛から解放され、軽井沢のあの別荘で展開されている共同体を心の底から新たな居場所だと認めるお話。真紀(松たか子)とすずめがカツ丼食べながら会話するシーンはとても良かったです。来週はどうやら家森(高橋一生)編のようで、こちらも楽しみ。

その他、注文した記憶のない(けれどもAmazonの履歴には残っている、それはお酒を大量に摂取した日でした)京アニ版『Kanon』のBlu-ray BOXが届いたので、真琴編まで視聴。頭を空っぽにして観れる、涙を強要してくるお話というのも大好きで、真琴最終日の喪失感たるや……。個人的にはうぐぅよりこっちの方が涙流せる度合いが高いので、この先を観るのはいつになるのか不明。

来週は『虐殺器官』の映画でも見に行こうと思います。

【ゲーム】

ポケモンサンムーン』のポケバンク解禁も、未解禁メガストーンは未解禁のまま。6世代ではメガクチートメガチルタリスメガサーナイト・メガデンリュウ辺りを軸にやっていたので、解禁されず涙目。モチベーションも上がらず。
1シーズンはドヒドイデブルルムドーハピ+2で回していたけど最高1850最終1790程という体たらく。 次もドヒドイデは入れたい所存。

カタハネ』のリメイクをプレイ完了。とにかく雰囲気が優しいロードムービー(シロハネ編)+宮廷謀略モノ(クロハネ編)の二部構成。リメイクということもあり、作りは相当丁寧で目立ったマイナスポイントはないけど、ちょっと世界が優しすぎ、率直に言って退屈という印象。特にシロハネ編。善意が前提に物語が進められすぎていて、ちょっと合いませんでした。間違いなくクオリティは高いです。また一部百合スキーには崇められているとおり、百合面も中々。
 
来週以降はLiarの『フェアリーテイル・レクイエム~シンフォニー』をぺちぺち進めていく予定。序盤のつかみは超良さげ。童話を下敷きに、現実逃避とか自我の確立とかそういう話に持っていってくれそう。傑作『forest』の進化版みたいになっているといいなぁ。

その他、労働が辛い、普段しゃべらない為あごの筋肉が発達しておらず久方ぶりの虫歯治療に弊害が出て歯医者さんに多大なご迷惑をかける、などの出来事があったが、概ねいつもどおり楽しい1週間でした。

【感想】『ぱらのま』kashmir

ぱらのま 1 (楽園コミックス)

ぱらのま 1 (楽園コミックス)

表紙のお姉さんがひたすら鉄道に乗ったり散歩をしたりで一人旅を続ける話。基本は一話完結で、様々な場所を練り歩いていく。前作『てるみな』は、旅人役にロリィな猫耳娘を配し、路線や土地も現実をモデルにしつつも架空のトンデモSF設定を混ぜ込んで、旅の途中で異世界チックな世界に足を踏み入れていくファンタジー色の強い鉄道旅モノだったが、本作はそういったファンタジー部分は鳴りを潜め、現実世界に即した形での鉄道旅モノとなっている。出てくる駅・路線・土地もすべて実名。

他の多くの旅モノでは、「旅先で出会う人情」とか「心洗われる景色」とかを目指していて、旅はあくまでそれらに至る手段として扱われているが、本作は違う。本作は旅自体、お姉さんが好き勝手に脳内解説しながら様々な鉄道に乗って様々な土地を散歩すること自体が、目的となっている。

このお姉さん、もとい作者の土地の成り立ちや鉄道への造詣の深さ、マニアックな知識、言い換えれば愛を楽しむ作品となっている。「観光地らしい観光地はあまり行かない」というお姉さんの趣向も良い。

山口県だとたとえばどういうところへ行きたいんですか」
「え、うーん U部興産専用道路ですかね」

このマニアックさたるや。なんでも日本で一番長い私道らしい。界隈の人はともかく私みたいなズブの素人からしてみれば、知らんがな、と言いたくなる。これは氷山の一角で、本当に日本全国津々浦々幅広い土地に出向いて旅して語っていく。

こういうマニアックな知識を語りつつ、それを飽きさせずに楽しく読ませることが出来るのは、ひとえに作者の力量だろう。『○本の住人』『百合星人ナオコサン』等、元々は可愛い女の子たちによるギャグを得意としていた作者である。本作でもキャラは可愛いし言い回しも単調でなく、コメディとしても面白い。その辺の作品よりはシュール感・ハイテンションは控えめで、淡々としているけれども。
特に「新宿ってボスっぽい」という発想から始まる、東京近郊の各駅をRPGの敵役に勝手に割り当てていく話は、妄想暴走コメディとして秀逸。「練馬とか成増とかはかなり弱そう」「日暮里あたりはボスの座を狙ってそう」「北千住は悪!」と、結構ボロクソ言っているのだが、何となく頷いてしまう。言い回しの上手さ、鉄道の知識、そして確かな観察眼というか、何となく存在するパブリックイメージを巧みに摘み取って言語化してRPGに落とし込む力量、全てが揃ってこその秀作である。
その他にも、「小岩の女子高生はスカートが短い」「さすが都電荒川線 1駅に2人は老人が乗ってくる」「西伊豆は1人歩きがよく似合う 東伊豆ではこうはいかない」等、土地の特色をよく捉えた上で先鋭化させている。
マニアックな事が書いてあるのだが、知識をひけらかす、という感じは一切ないのは好感度高し。知識が先行することなく、しっかりと風景を描いた上で解説をしてくるので、語り出す必然性があるのが良い。

そして何より、時間もお金も気にせず気ままに無計画に一人旅を続けるお姉さんが羨ましいことこの上ない。有り余る時間も底を尽きない資金力も一切説明がないが、それで良い。大した知識は無いが、鉄道を乗り継いで見知らぬ土地出向き、ふらっと散歩をしたくなった。

【感想】『茄子』黒田硫黄

短編の名手、黒田硫黄の『茄子』をキーワードにした短編集。茄子の化身から「茄子を玉ねぎよりメジャーにしろ!」という使命を受けた作者が描いた茄子漫画の金字塔。らしい。茄子漫画とは一体……。いくつかの連作短編と、独立した短編から成っている。

全体的に地味で乾いているけれど、それが妙な中毒性を孕んでいる。線がくっきりとした絵や描写の細かさ、当意即妙な会話、特に女性キャラの媚なさとでもいうのだろうか、様々な形で人生を受け入れている感じ。

ここで言う描写の細かさとは、背景とか小物とか、そう言う絵的な部分もそうだが、日常過ごす手続きのようなもの、要は生活の描写にまで及んでいる。茄子漫画というだけあって(?)、特に調理のシーンというのは事細かく描かれている。しかし料理漫画ではないので、調理の解説はしない。あくまで日常の、生活の一風景としての調理。こういう細部への拘りが、読者を作品の世界へ強く引き込んでいく。一コマ一コマが、一言一言が、しっかりと連続しているのだ。

個人的に一番好きなのは、「ランチボックス」という短編。高校卒業後、「なかよしの強要」に馴染めずアルバイトを辞めた無職の二十歳・国重さんと、同級生で朝起きれずに会社を辞めた有野君が、川原でキャッチボールをする話。こう書くと自堕落のような見えるし、実際そうとも言えるのだが、何故か不思議な清涼感がある。

国重「私さあ レンアイとかケッコンとかコドモうむとか なんかそーゆうことぜんぶしないで生きていこうと思う 決めた」
有野「そうなんだ でもなんかわかるよな気もする」
国重「ほんとー?」
有野「人並みのことってできないといけないのかなあ」
国重「ねーえ」
『茄子』上巻より

極め付けはこの最後のコマ。

自分の性格と人生を客観視して、馴染めないことを認めて、それでも清々しく受け入れている感じ!隣のリーマンが疲れた顔でTIME誌を読んでいるのも良い。因みにこの話の続編で、有野君はダメ人間の王道・インドに旅立つことを決意します。

その他にも宮崎駿が絶賛しアニメ映画にもなった『アンダルシアの夏』や、隠居して茄子農家で生計を立てているおっさんを中心とした連作短編『◯人シリーズ』等、傑作短編の宝庫。

【感想】『春と盆暗』熊倉献

春と盆暗 (アフタヌーンコミックス)

春と盆暗 (アフタヌーンコミックス)

どうして君みたいなエイリアンを好きになってしまったんだろう。

帯文の引用の通り、エイリアンのような不思議女子が、恋に疎めな盆暗男子を翻弄していく短編集。4編とも日常の中にありながら少し不思議な感覚。どの話も女の子が魅力的。

例えば、第1話『月面と眼窩』のサヤマさん。町の製麺所のレジ打ちアルバイトである彼女は、人当たりが良く、それ故に変なお客に絡まれることが多い。新人バイト・ゴトウは、ニコニコしながら背面で手をグーパーしているとサヤマさんに気づく。で、絡まれている最中の、つまりモヤモヤしている時のサヤマさんの頭の中が、これ。


『春と盆暗』 1巻

僕も今度モヤモヤした時は想像してみよう。

その他、中央線の駅名を偽名に使ってオトコとカラオケに来る21歳低身長社会人女子『水中都市と中央線』、その場のノリで適当に話している年上女性『仙人掌使いの弟子』、原材料不明のケーキの中身を暴くべく時間の巻き戻しを検討する女子『甘党たちの荒野』の3編(とオマケ)が収録されている。

どの話も、不思議女子の魅力を存分に出しつつ、起承転結の手際良く男女の出会い・交流を描いている。会話のセンスも良く、いつまでも浸っていたい独特の心地よさが広がっている。キャラの造形はアッサリしているが、どの娘も魅力的だし、細かい表情の描き分けも上手い。不思議女子ワールドが日常風景に混ざり込んで来るのも、単なる不思議形会話劇に終始しないエッセンスとなっている。基本的には出会って、交流して、さらに踏み込んだ関係になり始めたところまでを描いていて、今後のそれぞれの関係性を想像する余白も良い。

独特の心地良い浮遊感を覚える、ハイレベルで一風変わった恋愛譚である。今後も是非追いかけていきたい漫画家。

【感想】『カルテット』TBSドラマ

珍しく、実写ドラマをリアルタイムで視聴している。
キャストと脚本家と椎名林檎に釣られたが、大層面白い。
松田龍平松たか子高橋一生満島ひかりのメイン4人に加え、菊地亜希子という(個人的)神キャスト。ゲストだけど。

世吹すずめ(満島ひかり)が路上でチェロを演奏していると、怪しい老婆が怪しい依頼を持ちかけられる。この人と友達になってください―。そういって見せられたのは、巻真紀(松たか子)の写真。この老婆は真紀の夫の母親である。真紀の夫は失踪しているが、本当は真紀が殺したのだと考え、すずめに探りを入れさせるのが目的だった。
というのが導入。路上で裸足でチェロを弾くすずめ、良い。かわいさといたたまれなさと馴染めなさが同居している感じ。
真紀とすずめに加え、それぞれの思惑を抱えた別府司(松田龍平)と家森諭高(高橋一生)が、偶然(を装った必然なのだが)カラオケボックスで出会い、弦楽四重奏を組む。4人は平日はそれぞれ東京で生活を送りつつ、週末は軽井沢の別荘(司の親戚の持ち物)で共同生活を送るようになる。そこで音楽の練習をし、音楽レストラン等で演奏をする。その裏で、散りばめられたそれぞれの謎に満ちた過去と恋の行方を描いていく、というのが基本線。また、音楽という夢に破れ、ゆるやかな人生の下り坂を進みつつある悲しき30代たちの人間ドラマでもある。

まず、何といっても会話が面白い。面白いだけでなく、本音や真実を隠した会話の為の会話であったり、何気ない会話がテーマに直結していたり、物語の展開の伏線になっていたりするのが良い。
1話の「から揚げレモン問題」の会話はまさにそれで、一見ありがちな小ネタであるが、コミュニケーションのズレや関係の不可逆性といった、本作の一つのテーマを匂わせる。その後の展開の伏線にもなっている。何気ない会話に重要な部分をすり替えて仕込ませるこの手際のよさたるや……。会話に参加していないキャラも、視線で気持ちを(視聴者に)訴えているので、画面を広く観る必要がある。気が抜けない。

登場人物の(物理的な)配置や小道具、音楽の使い方も良い。
例えば、1話で4人が使う車を装飾しているシーン。初期配置は時計回りに好意を向けているような並び順。家森⇒すずめ⇒司⇒真紀。司が真紀に近づこうとすると、足を滑らせる。家森とすずめも後に続く。最終的には真紀だけが立っている。本当に何気ないシーンだが、今後の関係性の変化の暗示のように思えて仕方が無い。小道具に関しても一例を挙げれば、すずめが好んで飲んでいる正四面体のパックは関係性の暗喩だろう。

4人が最初にスーパーで演奏するドラゴンクエストのテーマ曲は、これから始まる酸いも甘いもあるであろう【冒険】の始まりを告げるにふさわしい選曲だし、2話で使用されるSPEEDの「White Love」も、九條さんの司への気持ちを表していて泣ける。二人の関係の終り、つまり情事の後の屋上での会話のシーンで、「果てしない あの雲の彼方へ」まで歌い、続きを歌わないのも染みる。九條は司に対して、「私を連れて行って」とは、もう言わないのである。結局九條は、婚活で出会ったタイヤの話しかしない男と結婚するのである。

そして信頼と実績のキャスト陣。難しい会話劇を、絶妙なテンポ・表情・体の動きで表現している。特に高橋一生は本当にすごい。偏屈で自分ルールに拘りがある難しい役柄を、影がありながらひょうきんに演じている。

真紀は夫を本当に殺したのか?司の家族は?家森はなぜ借金取りのような人間に追われているのか?すずめの過去は?こういう分かりやすい謎も残されている。
作中で度々発せられ、また公式サイトで本作のテーマと明言されている「人生には三つの坂がある。上り坂、下り坂、まさか―」という言葉。まさにその言葉通りの物語が展開されているし、今後もそうだろう。
散りばめられた謎を解消しつつ、4人の関係がどこに着陸するのか、非常に先が楽しみである。

【感想】『私の少年』高野ひと深

私の少年 : 1 (アクションコミックス)

私の少年 : 1 (アクションコミックス)

『私の少年』というタイトルがまず素晴らしい。単行本の後書き曰く3秒でつけた仮題がそのまま本決定になったようだが、想像力を掻き立てるタイトルである。

「少年」という言葉は、例えば「弟」「息子」「甥っ子」「恋人」「友人」「ご近所さん」のような、関係性を志向する言葉ではない。「私の弟」と言う場合は単なる関係を示し、「私」が「姉」として規定されるに留まる。翻って「私の少年」である。「私と少年」でもない。単なる関係性を示すタイトルではないのだ。「私の」とは何なのか?普通に考えれば所有である。所有も関係性を表すと言えばそうだが、そこには明らかな非対称性がある。タイトル的に、そして現段階での表層的な意識において、「私=聡子」は「少年=真修」を庇護下に置いている。この非対称性は崩されるのか?聡子は「少年の私」を目指すのか?という想像力が生まれる余地が残されている。

聡子と真修の関係というのは、形容しがたい歪でアンバランスなものである。聡子から真修への感情は、様々なモノが入り混じっているように思える。当然、母性はあるだろう。自身の家族の不和と真修の境遇を重ね合わせている部分もある。そして恋愛感情に近い何か。これらが混ざり合い、聡子の中でパワーバランスが争われている。どれが優勢なのかは、本人も気づいていない。あるいは気づかないようにしている。
単行本2巻の9話では、所有欲に近い何かを自覚したように思える。

これ すごい聞いたことある台詞だ
自分の言葉じゃない言葉って
嘘みたいにするする出ていくんだな
たとえ
私の言葉じゃなくても
嘘だとしても
間違っていたとしても
真修にとって
間違いでは ない
そう
真修のそばにいるのは
私だけじゃない
私しか頼っちゃいけないって
真修に思わせちゃいけない

この独占欲を抑えようと言い聞かせる様。所有欲の自覚が窺える。この恋愛感情と母性が混ざり合った所有欲・独占欲の行方は、果たして報われるのだろうか。
また9話では、キーアイテムの「体温計」が登場する。1話で元彼への未練の象徴として描かれており、1話ラストで真修との出会いにより一時は断ち切った「毎朝意味もなく体温計で体温を測る」という行為が、9話で再び再開されようとする。体温計は、人恋しさのメタファーのようなもので、真修との関係を(どのような形であれ)踏み出したいという気持ちの表出だと思う。

では真修は?真修は聡子に何を求めているのだろう。

でも 俺 ずっと
練習続けてた の
あいたかったからです
聡子さんに

9話で、聡子から提案された新しいサッカークラブが聡子との練習日と被っていることを知らされた時の言葉。聡子は聡子で、先ほどの独占欲を抑えようと心の中で言い聞かせながら提案していたわけだが、真修は泣きながら引用の台詞を絞り出す。それに対して聡子は思わず抱きしめるのだが、この「あいたかったから」という言葉の意味合いは、どのようなものなのだろうか。母性を求めているのか?友愛か?恋愛的感情か?個人的には、これは結構恋愛感情に近いものだと考える。
単行本1巻の4話。聡子と真修が回転寿司を食べる回。

真修「お姉さんも『普通だから』ですか?人にやさしくするのは普通だから 俺にサッカー教えたり 車で送ってくれたり お寿司食べていいよって言ってくれたり してくれるんですか」
聡子「えー?普通こんなことしないでしょー 真修にしかしたことないよ」
(中略)
真修「さ 聡子さん あの これ今日のお礼です」

お姉さんから聡子さんへ。1人の独立した女性として意識している。またお礼をすることで、12歳なりに聡子と対等な関係になりたいという努力が窺える。

とは言え、現実問題として2人が恋愛的なかたちで結ばれるとは考えにくい。ある程度そういう気持ちが双方にあると言っても、埋めがたい年齢差と、そこからくる恋愛感情が持つ重さのアンバランスさが余りに大きい。また聡子の元彼や真修の同級生女子の不穏(?)な動き、更には家族の諸問題も依然として解決されていない。この美しくも歪な関係が、この先どのように移ろっていくのか。非常に楽しみである。

ゆら帝とかジュリマリとか、解散したバンドばっかり聞いている聡子が前に進めますように。

【感想】『サザンウィンドウ・サザンドア』石山さやか

サザンウィンドウ・サザンドア (フィールコミックス)

サザンウィンドウ・サザンドア (フィールコミックス)

幼い頃、高島平団地に住む祖母の家に遊びに行く時、毎回言いようの無い高揚感を覚えていた記憶がある。新宿のビル郡とも違う、あの画一的で無機質な直方体の建造物がいくつも連なっている光景に、圧倒されていた。また幼馴染が団地に住んでいたり、今の職場近くに団地郡が存在していたりと、私自身は住んだことは無いが、何かと団地に縁がある。

「団地」という概念は何か不思議で、建物自体の無機質さとは裏腹に、マンションやアパートといった他の集合住宅とは何となく一線を画している印象がある。雑多で色んな世代の人々が住んでいて、「憩いの広場」みたいなところでの交流があり、ワイワイやっていて、都会では死んでいる、緩やかな地縁的共同体がまだ生きている。実際のところは知らないけど、そんなイメージを持っている。

で、本作。『千の窓・千の扉』と題された本作では、そんな団地を交差点とした、多様な人々のミニマムな生活や交流を、全12編のオムニバス形式で丁寧に描いている。

各話のフォーマット自体は、何かに悩んでいる団地の住人が、世代が異なる別の団地の住人と出会い、交流し、悩みが解決していく、というものが殆ど。しかしそのフォーマットの繰り返しでも全く飽きずに読み進められるのは、一つの団地に住む多種多様な登場人物が、それぞれ個別の生活を営んでいるという当たり前の事実を、きちんとした観察眼で丁寧に切り取っているからだろう。

花火大会に行く行かないで喧嘩をしてしまった夫婦。学校の宿題でご近所地図を作る小学生。進路に悩む女子高生と野良猫に餌を与える老婆。その他にも本当に様々な、けれども突飛ではない地に足着いた人々が生活を送り、些細な交流を育んでいる様子が描かれている。

もちろん、現実の団地というのは、居住者の高齢化や老朽化など、後ろ暗い問題も孕んでいる。作者としても、そこを無視しているわけではない。

例えば、進路未決女子高生と野良猫餌老婆の会話。

「……若いのはいいねぇ」
「全然いいことなんてないですよ やりたいこともわからないし」
「でもそれすらうらやましい 私はもう99%ここでのたれ死ぬけど あんたはこれからどこへでもいける」

このエピソードの主人公は女子高生の方で、最終的には進路という悩みに折り合いをつけるのだが、その裏で老婆は(明言はされていないが)孤独な死を迎えている。

とはいえ、このエピソードを含めて、基本的にはハートフル。団地という共同体で生活を送る多様な人々を、ノスタルジーに頼らず、前向きに柔らかい筆致で丁寧に掬い取っている傑作だった。

P.S.「団地を舞台」といえばこれ。全漫画の中でも3指に入るのでは、というくらい好き。